top of page
ホームページ 東工大ヨット部

引退ブログ⑧

 お世話になっております。投稿が遅くなってすみません。マネージャーをしておりました4年の甲斐航です。まず初めに、ヨット部の活動に多大なご支援を賜りました保護者の皆様、OB・OGの皆様、元吉コーチ、ハーバー関係者の皆様に感謝申し上げます。


 自分の4年間を振り返ると、ほかのメンバーのようにプレイヤーとしてのキャリアを順調に歩むことができず、心の片隅にどこか曇った感情を抱いたまま過ごした時間がほとんどでした。一方でこうした時間は自分にとっては必要な経験だったと今では感じています。


 1年のときに入部してから、毎週末仲間と寝食を共にして練習に励むという非日常的なヨット部生活を謳歌していましたが、2年生の夏ごろに不整脈の症状が出てきていったん休部することになりました。2年生の終わりごろには療養が終わって戻れる状態だったのですが、同期と技術的な面で大きく差が開いてしまった事実を受け入れられず、さらに学業も部活(別の部活)も優秀にこなしていた学部の友人たちと比べて自分に自信を無くし、部活を去る決断をしてしまいました。その後は学業に力を入れようとしましたが、部活を去る決断をしたことへの後悔を引きずって気分が晴れることはなかったです。


 3年夏のある日、校内を歩いているときに筑波の実験施設で行われるサマープログラムの参加者を募るチラシがあったのでなんとなく応募してみたところ、選考を通過できたので参加しました。全国の大学生が集まって寝食を共にし、班に分かれて一つの課題を協働して解決していくというもので、久しぶりに楽しく夢中になれる時間でした。プログラム最終日の夜に行われた打ち上げパーティーで、自分の班を指導してくれた大阪大学の教授の方と二人だけで話す時間があったのですが、そのときに「君を見ているとどこか自信のなさを感じるね。どうしたんだ?」と見透かされたように問いかけられました。洗いざらいお話をさせていただいたあと「仲間と部活できる時間はもう戻ってこないよ。もう一度戻ってみなさい」と励まされ、ヨット部に戻る決心をしました。まさか原子物理学の権威ある先生からヨット部に戻るように勧められるとは思ってもいませんでした。


 その後同期やOBさんの助けもあってsnipeクルーとして復帰させてもらいました。ただ、やはり1年のブランクは埋まるはずもなく、かつて競争をしていた同期を師として仰ぐことになり、さらには後輩の後を追いかける場面も多かったです。それは覚悟のうえで復帰しましたが現実的につらいものが多くありました。他人と比較していてはとても精神的にもたないと感じたので無心でヨットするように決めました。そう決めてからは心軽やかになり、そして自分の成長だけを見つめられるようになって楽しかったです。


 しかしそれも長くは続かず、4年の初めに左手に腱鞘炎を患ってまたもや練習から離れることになりました。たかが腱鞘炎と軽く思っていたのでレスキューのサポートや座学をしつつ回復を待っていましたが、一向に治る気配がしないどころかレスキューの運転で症状がどんどん悪くなっていきました。春インが終わった後に、これ以上プレイヤーとしてあがいていては自分にも周りにもよくないと考えてマネージャーに転向する道を選びました。


 マネージャーになってからは食当のスペシャリストになろうと思い、プレイヤー時代の経験をもとに疲労回復や肌荒れ防止に効果のあるようなメニューを考えて作っていました。調理中は意外とやることが多くて没頭できていましたが、ふとした瞬間に「俺は料理を作るためにヨット部に戻ったわけじゃない」「怪我さえなければ、今頃みんなと海で練習できていたはずだ」「別に自分が食当しなくても部活は回るし」といった負の感情が浮かんできてつらかったです。どうせやるなら楽しくやろうと努めていましたが、最後の最後までこうした感情が消えることはなかったです。


 

 さて、ヨットの技術面では未熟なため後輩たちに何かアドバイスすることはできませんが、もし何かカッコつけて言えることがあるとすれば「いろいろな道がある」ということかと思います。思い描いた道を進めればベストですが、些細なことで道から弾き飛ばされることもあるし、不本意な道に自分から飛び込む決断をしてしまうこともあると思います。そういう時に「あるべき道」にこだわりすぎてしまうと自らを苦しめることになります。その時その時で自分なりに最善を尽くしていればそれで十分だと思います。全部自分の思いと努力でどうにかなると思っていた高校生までの自分はある意味傲慢だったと、ヨット部生活で学びました。


 最後になりますが、自分が部活に復帰しようと思ったのも、マネージャーとして部に残ったのも、ヨット部のみんながとても暖かく魅力的な人たちだったからです。本当にありがとうございました。何か自分にできることがあれば、これからもOBとしてサポートします。引き続きよろしくお願いします。


4年 電気電子系 甲斐航



閲覧数:111回

Comments


Archive
Search By Tags
bottom of page